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ジークレーアートのビブリオポリ

バシリウス・ベスラー

植物図鑑『アイヒシュテットの園』はベスラーの代表作

ベスラーについて

ビブリオポリ-バシリウス・ベスラー

バシリウス・ベスラー(Basilius Besler)(1561-1629)は、ニュルンベルクの高名な薬剤師および植物学者で、ボタニカル・アート史上極めて重要な植物図鑑"Hortus Eystettensis"(『アイヒシュテットの園』)を出版した人物として最も良く知られています。
彼は、ババリア地方アイヒシュテットの司教を勤める、ヨハン・コンラート・フォン・ゲミンゲン(Johann Konrad von Gemmingen)と交流があり、司教が所有する庭園の園長を務めました。
司教は大変熱心な植物愛好家で、自ら所有する庭園の運営にも並々ならぬ情熱を傾け、その結果この庭園はその規模と植物の多様性において当時のヨーロッパでも最も重要な植物園の一つに数えられました。

ビブリオポリ-バシリウス・ベスラー-ヒマワリ

司教のヴィリバルトブルク(Willibaldsburg)の邸宅は、町を見下ろす小高い丘の上に建てられ、この邸宅を囲むようにして庭園が営まれていました。
この庭園は、ベスラーの同僚であり、医師および植物学者でもあった、ヨアヒム・カメラリウス(Joachim Camerarius)(1534-1598)が1596年に設計しました。
カメラリウスの死(1598年)後、ベスラーは、カメラリウスが育てていた植物をアイヒシュテットに移し、そこで植物の栽培、管理を続けました。
司教は、この庭園で育てられていた植物の図譜の編纂をベスラーに命じましたが、しかしながらこれが完成するまでには16年を要し、司教は出版目前にして他界してしまいます。
当初ベスラーは、彼の兄弟やAugsburg(アウグスブルグ)出身のWolfgang Kilian(ヴォルフガング・キリアン)など、当時のドイツの優れた素描家、彫版工の支援を受け、出版の準備を進めましたが、司教が死去した後は、Nurnberg(ニュルンベルグ)のグループに引き継がれました。

ベスラーの作品

ビブリオポリ-バシリウス・ベスラー-チューリップ

植物図鑑『アイヒシュテットの園』が出版されるまでは、植物図鑑といえば、薬用植物や食用植物に重点が置かれ、図譜の描写も粗雑なもので識別するにも困難であったりもし、ましてや芸術的価値などほとんどありませんでした。
ところが、『アイヒシュテットの園』は、これまでのボタニカル・アートの概念を根底から覆したのです。
観賞用植物、薬用植物のほか野菜類、ヒマシ油やarum lilies(オランダカイウ)などの外来植物を含む図譜から構成され、ほぼ実物大で、細部まで精密に描かれています。
ビブリオポリ-バシリウス・ベスラー-アイヒシュテットの庭 図版は57×46cmと大型で、そのコンセプトは斬新で、レイアウトも芸術的に優れており、手彩色により見た目の効果を更に高めています。

この植物図譜の初版は1613年で、367枚の銅版画から構成されました。
初版では300部を印刷し、販売に4年を費やしました。
廉価版と豪華版の2種類の版が出版され、廉価版は白黒印刷で参考資料用とされました。豪華版は、上質紙を用い手彩色が施されました。
豪華版は1冊500フローリン、一方、廉価版は35フローリンでした。
ベスラーはこの植物図譜を出版したおかげで、ニュルンベルグの一等地に素敵な家を2500フローリン(豪華版5冊分)で購入することができたそうです。

この植物図鑑は、その後2回、1640年および1713年にニュルンベルグで同じ版を用いて増刷されました。
しかし、この原版は1817年にRoyal Mint of Munichによって破棄されてしまい、残念がら現存していません。
また、この庭園はHerzog Bernhard von Weimar率いるスウェーデンの進入軍により略奪されてしまいました(1633年)が、1998年に、アイヒシュタットに再建され、現在公開されています。

ベスラーのアートカタログ

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