グスタフ・クリムト(Gustav Klimt、1862-1918) は、 19世紀末のウィーンを代表する帝政オーストリアの画家です。
父エルンストはボヘミア出身の彫版師、母アンナは地元ウィーン出身であり、クリムトは7人兄弟の次男として生まれました。
ウィーン学校で学んだ後、1876年に博物館付属工芸学校に入学しました。
工芸学校では、石膏像のデッサンや古典作品の模写を中心に古典主義的な教育を受けました。
卒業後、芸術家商会を設立しました。
同商会は劇場装飾を中心とした仕事を手掛け、金功労十字賞や第一回皇帝賞を受けるなど高く評価されました。
装飾家として名声を得たクリムトは、ウィーン大学大講堂の天井画の制作を依頼されたものの、構成下絵が大論争を巻き起こし、依頼主の文部大臣が攻撃される事態に発展し、結局契約破棄に至りました。
1897年に保守的なクンストラーハウス(美術家組合)を嫌った芸術家達によってウィーン分離派が結成され、クリムトが初代会長を務めました。
分離派は、展覧会、出版などを通してモダンデザインの成立に大きな役割を果しました。
クリムトの作品は、甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられます。
その一方で、『接吻』に代表される、いわゆる「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出しています。
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